「明治から昭和を生き抜いた船 信濃丸の知られざる生涯」宇佐美昇三を読んだ

「明治から昭和を生き抜いた船 信濃丸の知られざる生涯」宇佐美昇三/海文堂を読み終わりました。

 

信濃丸の知られざる生涯―明治から昭和を生き抜いた船

信濃丸の知られざる生涯―明治から昭和を生き抜いた船

 

 日本海海戦での「敵艦見ユ」の信号発信で日本艦艇史に名を残す「信濃丸」の生涯について書かれた本です。

 「信濃丸の生涯は凄すぎる!」というのが感想です。

 明治に生まれて解体完了したのが昭和27年!。その間に日本海海戦だけでなく日本の歴史の色々なところに姿を現しているのです。

 信濃丸は1900年に英国グラスゴーで進水、当時の世界最大級の貨客船でありました。同年4月に竣工して日本に向かいました。当時の船長は英国籍のパーソンズであります。当時の日本郵船は一気に15隻を発注したのです。

 信濃丸は英国で建造された三笠のために海軍将兵300人を運ぶ仕事もこなしています〔このあたりからも日露戦争との関わりが・・・〕。

 日露戦争が始まると信濃丸は海軍の特設巡洋艦となり哨戒任務に就くことになります、そこで有名な日本海海戦での「敵艦見ユ」の信号を打電した話は有名、この件の本当の本当を探る記事も細かく書かれています。

 日露戦争が終わった後も「香取」「鹿島」の回航要員運搬についています。その後は北米航路そして内台航路〔日本〜台湾〕に就航します。

 昭和に入ると北進汽船から日魯漁業へ移籍、北洋漁業の補給を行ったり冲取工船になったり〔船の中で鮭鱒の缶詰製作〕とすっかり漁業関係船。

 第二次大戦になると輸送業務、潜水艦に沈められることも空幕で沈むことも無く終戦ラバウル水木しげるを運んだ〕、戦後は復員船として活躍〔大岡昇平がフィリピンから帰還するときに乗る〕。

 朝鮮戦争が始まると米軍を釜山に運ぶ任務も。

 1951年になってやっと退役して解体〔翌年完了〕。

 かいつまんで書いたつもりですが、とにかく色々あった船です。

 他にも信濃丸の塗装中に吉川英治〔当時、船渠工〕が墜落して大怪我したりします。他にも利用した有名人多数。

 濃い歴史を持った信濃丸の生涯を「シーパワー」や「シーマンシップ」「当時の客船旅行」などのお話を混ぜながら書かれていて読みやすいです。

 艦尾には要目・年表・人名索引・船名索引が付いていて親切です。

 良い本に巡り会えて良かったと思う本です。