「ヘアヌードの誕生‐芸術と猥褻のはざまで陰毛は揺れる」安田理央著を読み終わった

ヘアヌードの誕生‐芸術と猥褻のはざまで陰毛は揺れる」安田理央著/イースト・プレス刊を読み終わったので感想を書きたいと思います。

 「痴女の誕生」「巨乳の誕生」に続く新刊であります。ヘアヌードすなわち陰毛がどう表現されてきたかと言うことを膨大な資料に基づいて考察していく1冊です。

 まずは世界史における陰毛の表現、西洋では芸術において女性の陰毛が描かれることは無かったとのこと〔3万年前の古代壁画には描かれていた〕。初めて陰毛が描かれたのがゴヤの「裸のマハ」で、これが描かれたのが18世紀末。この後徐々に描かれるようになりクールベの「世界の起源」では、陰部のアップが。陰毛によってモディリアーニの個展が中止になった話、世界初のポルノ映画がアルゼンチンで制作されたこと、ポルノの解禁は1960年代などなど知らないことがいっぱい。

 続いて日本における陰毛の表現。春画では陰毛が描かれていたが明治以降に駄目になり、そこからの歴史が詳しく。それにしても猥褻の定義が本当にあやふや。

 第三章「陰毛闘争」でビニ本からの裸体表現。昔は無毛だったらOKだったという時代が〔この頃になると生きていたので記憶があります〕。マン・レイ事件も覚えいている。警察と出版社との攻防が続きます。

 第四章「ヘアヌードの誕生」、いよいよヘア解禁です。樋口可南子の「water fruit」の発売です。次に出た宮沢えりの「SantaFe」の方がインパクトがありましたね、何しろ当時人気絶頂の女性アイドルが脱いだのですから。その後で芸術新潮「芸術的な、あまりに芸術的な“ヘア”」〔家にあったりする〕やCD−ROM「YELLOWS」が発売、ヘアヌード写真集が乱発、しかしビデオのヘア解禁は遅れました。

 第五章「ヘアヌードの終焉」ブームはいつかは終わるモノでした、ヘアヌードブームも終わり写真集は売れなくなり警察の摘発も相次いで下火に・・・その上、地上波テレビからは「おっぱい」も消えていくのでした〔寂しい〕。

 終章「そして誰も陰毛を語らなくなった」陰毛は境界線で無くなったと言うことで終わりです。

 「おわりに」で作者が「自分はパイパン派」と告白して終わります。作者は前作「巨乳の誕生」で「自分は貧乳派」と告白してますから・・・驚きません、私も貧乳パイパン派なので激しく同意いたします。

 この本ではヘア解禁までの色々な事情と人々の努力が伝わってきます。昨今ではまた表現規制派による性表現のいわれなき規制強化の圧力が高まっており表現の自由は潰されそうになっております〔ここで頑張らなきゃ〕、自由な表現が出来ない世界なんてまっぴらです。20世紀後半に性表現の自由の為に頑張ってきたリベラルの人はどこに行ったんでしょう?現状ではリベラルは規制派ばかりでガッカリですね、保守系の人の方が表現の自由の為に頑張っている事実〔保守系穏健派の私には嬉しいことですが複雑ですね〕。

 「痴女」「巨乳」「エロ本」「ヘアヌード」と取り上げてきた作者の次のテーマは何でしょう?楽しみです。

 良い本を読ませていただきました。